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LIFE works
2010@Tokyo
2010年12月29日
大田区田園調布1
多摩川の護岸。川に近づけば思いがけずに自分の記憶が呼び起こされた。
LIFE works
2010@Kanagawa
2010年12月19日
藤沢市鵠沼松が岡1
江ノ島電鉄鵠沼駅前に敷かれているこの石は、かつて腰越〜江ノ島間の路盤に敷設されていた物が敷かれているという。
LIFE works
2010@Kanagawa
2010年12月19日
鎌倉市極楽寺1
<極楽寺坂切通>鎌倉にある7つの切通のうちのひとつ。三方を山に囲まれた鎌倉ならではの山越え道であり防御策。コンクリート面に映り込むように付着する土地の記憶。
LIFE works
2010@Tokyo
2010年12月4日
大田区田園調布3
田園調布駅前の放射線状に広がる街並みの中心にある水飲み場。
LIFE works
2010@Tokyo
2010年11月21日
台東区上野1
17年前の交通事故現場に立つ。
LIFE works
2010@Tokyo
2010年11月20日
千代田区丸の内1
<東京駅>意味ありげなしみ。
LIFE works
2010@Tokyo
2010年11月16日
台東区東浅草1
<地方橋跡>暗渠化された山谷堀跡に残る橋柱。「ぢかた」と呼ぶ。
LIFE works
2010@Tokyo
2010年11月16日
足立区千住桜木1
この通りはかつて元宿堰というおよそ三千本の桜が並ぶ土手だったという。
LIFE works
2010@Tokyo
2010年11月14日
品川区北品川1
プラタナス(スズカケノキ)にカモフラージュ。
LIFE works
2010@Tokyo
2010年11月3日
文京区本郷2
外堀通りを歩いていて目に入ってきた丸いタイルが気になった。最初はすべて同じ色であったはずなのに、丸タイルの色がなぜか違う。このばらつきはなぜだろう。
LIFE works
2010@Tokyo
2010年11月3日
文京区本郷1
外堀通りに面する元町公園(震災復興小公園)の擁壁。地形の断面を見るようにコンクリートの表面に場所の性質があぶり出されている。
LIFE works
2010@Tokyo
2010年11月3日
千代田区神田駿河台2
<女坂>駿河台。一直線で急な「男坂」に対して、ゆるやかな坂と思いきや、かなり急な「女坂」。落ち葉とともに定着。
LIFE works
2010@Tokyo
2010年10月19日
荒川区南千住7
パンの材料などが入った箱のふた。60年のパンづくりの営みがつくったかけがえのないマチエール。
LIFE works
2010@Tokyo
2010年10月19日
荒川区南千住7
包丁の傷痕が残る生地を切る台。南千住のとあるパン屋、昭和25年から2代続いた店もやむなく来月閉めるという。かつて町工場などで働く多くの人たちがパンを買い求めていたという。
LIFE works
2010@Tokyo
2010年10月13日
大田区羽田3
<旧煉瓦堤防>かつて暴れ川だった多摩川の煉瓦づくりの旧堤防。約800mほどにわたって現在も残され、この堤防の外側に家々が並んでいる。記憶と寄り添った暮らしのあり方。
LIFE works
2010@Tokyo
2010年10月13日
大田区羽田6
多摩川の河口羽田。アナゴやアサリなどが穫れ、堤防沿いには漁船が並ぶ。かつては海苔が多く採れたが埋め立てなどで環境が変化。漁師も随分減ったという。江戸前の営みがまだしっかりと息づいている。
LIFE works
2010@Tokyo
2010年10月13日
大田区羽田空港1
<大鳥居>昭和20年米軍による空港拡張で住民が48時間内に強制退去させられた後、なおもその地に留まり続け、昭和59年の空港整備によって現在の地に移設された。かつての3町3000人余りのこころの拠り所。
LIFE works
2010@Tokyo
2010年10月5日
墨田区堤通2
<白鬚橋>震災により隅田川に架かる橋は復興事業として425もの橋が架かり、耐震、耐火はもちろんのこと景観や構造についても実に細かく統一されたデザイン計画に基づいている。その頃から景観は日々変化している。
LIFE works
2010@Tokyo
2010年10月5日
墨田区堤通2
隅田川の水辺は、川と人を隔てたコンクリートの直立堤防(カミソリ堤防)から現在、川辺の再開発と一体化して可能な限りスーパー堤防に変わりつつある。
LIFE works
2010@Tokyo
2010年9月26日
荒川区南千住7
ほんの2ヶ月前にお世話になった工場が跡形もなく消えていた。明治に官営工場ができ、この辺りの近代工業化を象徴する最後の工場だった。100年の土地の営みの記憶がマンションとしての記憶に書き換えられる空白の時。
LIFE works
2010@Tokyo
2010年9月26日
荒川区南千住4
昭和62年頃まで現在の貨物線の隅田川駅の一部として使用されていたその場所にマンションが建ち、敷地内に線路が埋められているが、通りの名は「ソナタ通り」、イメージは南国リゾートなのだという。
LIFE works
2010@Aichi
2010年9月19日
名古屋市中区錦2
参道の敷石だけが残った。というよりお寺の存在を主張している。両側にビルが建ってしまったことで隙間になりかけたところが、アスファルトや空間のせいで逆に異彩を放っている。
LIFE works
2010@Aichi
2010年9月19日
名古屋市中区丸の内2
名古屋ならではのマンホールのデザイン。テレビ塔と名古屋城。
LIFE works
2010@Aichi
2010年9月19日
名古屋市中区錦2
このあたりのあちこちで建物がポッカリと抜けた駐車スペースをよく見る。建物の断面にはかつてそこにあった建物の断面が付着して残っている。多分お風呂場だったのだろう。皮肉にも建物が消えたことで見えてくる営みの記憶。
LIFE works
2010@Osaka
2010年9月17日
堺市堺区神明町東3丁
<本願寺堺別院>蓮如上人が御坊を営んだことが始まりとされる。敷き詰められた石の面に向けられたまなざしは気がつくと細部を見ている。
LIFE works
2010@Tokyo
2010年9月14日
中央区明石町
<旧暁橋>かつての築地川の川筋が公園になり橋の跡が記念碑として残る。しかし当時の記憶を伝えているはずが画一的に整備された公園からは当時の人の営みや暮らしと寄り添い存在していた川の記憶は何一つ伝わってこない。
LIFE works
2010@Tokyo
2010年9月9日
江東区永代1
<永代橋>隅田川に架かるこのダイナミックなアーチの構造物は現代の風景にとっては特別なものであり、改めて優れたデザインであることを知った。
LIFE works
2010@Tokyo
2010年9月9日
江東区永代1
隅田川沿いの堤防壁。補修痕と滲みがつくる錆びた風景と佃の高層マンション群。
LIFE works
2010@Niigata
2010年9月5日
新潟市江南区木津5
体育館が剣道場として利用されていたころの同じ場所の写真に出会った。
LIFE works
2010@Niigata
2010年9月4日
新潟市江南区木津5
この世に二つと同じものは存在しない。この床はこの体育館にしかない床で、数センチずれても違う床で、明日には違う床である。写す人も同じものはつくれないし、同じ場所を二人が写しても違うものができあがる。この時この床を写した自分と場所の記憶は紙に確実に定着される。
LIFE works
2010@Kanagawa
2010年8月28日
川崎市中原区北谷町
コンクリート製の高欄にそのまま「玉川橋」と刻まれている。かつての渋川を中丸子南緑道として暗渠化して橋も道路になったが、アスファルトの下から橋面の地肌が露になっていた。埋め込まれた小石一つ一つが愛おしい。
LIFE works
2010@Tokyo
2010年8月19日
大田区南千束2
<鳳凰閣>旧清明文庫。六角形のモザイクタイルがいい。昭和8年の建物というが随所に見える装飾や建具がとてもきれいに保存されている。
LIFE works
2010@Tochigi
2010年8月17日
栃木市湊町
商都栃木の由来はこの巴波川(うずまがわ)の舟運からなる。川沿いに建つ塚田家は元材木問屋。かつての面影を色濃く残す河岸に時間までもが記憶に寄り添っているよう。
LIFE works
2010@Tokyo
2010年8月14日
千代田区神田佐久間町1
<旧佐久間橋親柱>この橋跡は、神田川から秋葉原駅まで物資を引き込む堀に架けられていて、秋葉原駅が貨物駅として物流の中心的な役割を果たしていたことを物語っている。街は変わっても四つの親柱は健在だ。
LIFE works
2010@Tokyo
2010年7月31日
千代田区千代田
<太田道灌追慕の碑>江戸城をつくった太田道灌の没後450年を記念して1936年に建てられた石碑。この石は江戸城築城の際に石垣の一部として出土されたもの。
LIFE works
2010@Tokyo
2010年7月28日
中央区銀座1
<旧京橋親柱>大正11年に架けられ昭和34年川の埋め立てにより橋は撤去。周囲の建物がなくなっていくなか、ずっとそこにあるということの意味を改めて問いかけているように見える。
LIFE works
2010@Ibaraki
2010年7月18日
水戸市柳町2
<水浜電車軌道跡>昭和41年廃止された路面電車のレールが一部残されていた。道路の真ん中でうずくまって作業をしていると一人のおばあちゃんが声をかけてくれた。空襲での出来事を語り継いでいる方だった。
LIFE works
2010@Ibaraki
2010年7月18日
水戸市柳町1
<新桜川千波湖用水堰記念碑>桜川の土手に立つ2つの石碑。水戸城の天然堀として、また干害地域への潤いを与える用水として千波湖は重要な役割を担ってきた。ここにも土地と人との水の記憶があった。
LIFE works
2010@Tokyo
2010年6月27日
台東区花川戸1
<松屋浅草>昭和6年久野節設計の建築が今もわずかに階段などに残る。百貨店が娯楽施設で特別だったあの頃も遠い昔。5月には4階から上層の(屋上遊園地も)営業を取りやめた。
LIFE works
2010@Tokyo
2010年6月21日
荒川区南千住7
<南千住製作所>機械に合わせてひかれた白線や固定させるためのプレートやナットなどが地面に埋まっている。それらはそのまま工場の記憶である。平面だがレイヤーとして見ると限りなく深い記憶の絵画。
LIFE works
2010@Tokyo
2010年6月12日
渋谷区代々木4
<三字橋跡>かつて玉川上水が流れていたことを語る橋跡と水道管。高層ビルが立ち並ぶ近代的な新宿副都心も土地の記憶までは上書きすることはできない。
LIFE works
2010@Tokyo
2010年6月7日
品川区南品川6
曲がり角の住宅などでよく見かける石にしては必要以上に大きい。家の方に聞くと家を建てた当時お父様からプレゼントされたのだという。ことの経緯は不明だが、尋ねられた家人のうれしそうな笑顔が忘れられない。
LIFE works
2010@Tokyo
2010年5月31日
大田区南六郷2
<六郷水門>昭和6年に農業用水や舟運のために開削された水路の水量調節のためにつくられた。かつての穀倉地帯から宅地へと移り変わるその狭間の象徴。今ならありえないデザイン性の高い公共事業に憧れさえ憶える。
LIFE works
2010@Tokyo
2010年5月16日
品川区西五反田2
<旅館海喜館>壁に幾重にも滲み込んだ五反田の空気。その現象の妙を写しとりながら、壁の中の世界に思わず引き込まれそうになる。
LIFE works
2010@Tokyo
2010年5月8日
荒川区南千住6
<千住製絨所跡>明治12年明治政府によって設立された被服生地製造工場の煉瓦塀。南千住が「産業の町」として発展してきた証の壁。かつて産業隆盛の地であったところは今急速にまちの記憶が失われている。南千住もしかり。
LIFE works
2010@Tokyo
2010年5月8日
墨田区錦糸1
<清平橋>すでに埋め立てられた大横川に架かっていた橋が役目を終えて、10日に撤去工事がはじまり生まれ変わるという。かつて大役を勤めていた橋も環境が変わり、どこか肩身が狭く遠慮しているように見える。
LIFE works
2010@Tokyo
2010年5月2日
中央区晴海3
<黎明橋公園>公園のベンチというのはおおよそ人が休むためのものではないだろうか。このベンチのペンキの剥がれ方を見ると休まるものも休まらない気がしてくる。
LIFE works
2010@Tokyo
2010年5月2日
中央区築地6
<勝鬨橋>隅田川に架かる最も河口にあり、中央が跳ね上がる構造をもった橋。大型船や交通量が減った現在、残念ながら固定され電気も通っていないらしい。跳ね上がる中央の部分、勝鬨橋の白。
LIFE works
2010@Tokyo
2010年5月2日
中央区築地5
<中央卸売市場築地市場>マンホールの行く末か。しかし傷だけでこうはならない。おそらく魚を扱う場所柄、海水による腐食が原因ではないか。市場固有のものの行く末。
LIFE works
2010@Tokyo
2010年5月2日
中央区築地6
<小田原橋親柱>かつて海だったこの地を埋め立てて魚河岸を開いたのが本小田原町なのだという。かつての築地川の支流に架かっていた小田原橋の橋名板。地名はすでにない。
LIFE works
2010@Tokyo
2010年4月24日
荒川区南千住7
<千住大橋>隅田川に架けられた最初の橋。関東大震災復興の昭和2年当時の最新技術でつくられた美しいアーチ。橋名には「大橋」という誇り高い二文字が。そして大橋の青を拝借。
LIFE works
2010@Tokyo
2010年4月24日
荒川区南千住3
<汐入水門跡>かつて南千住は石炭の集散地として隅田川の水運を利用し、ここで荷揚げして鉄道で運んだ。運河も埋め立てられ役割を終えた今、この水門跡は子どもたちのいい遊び場になっていた。
LIFE works
2010@Tokyo
2010年4月17日
千代田区内幸町1
JR有楽町駅近くのガード下。東側の再開発や銀座のビルの建替えが激しい中、どんなにまちがきれいに装っても無骨で雑多なこのガードだけはその真ん中で頑なに装うことを拒んでいる。
LIFE works
2010@Tokyo
2010年4月10日
港区愛宕1
<愛宕神社の石段>上から見下ろすとちょっと足がすくむほどこの勾配は急だ。東京の石段は結構キツい。この石段実は「出世の石段」と呼ばれている。
LIFE works
2010@Tokyo
2010年4月10日
港区新橋3
<新橋駅烏森橋ガード下>暗く湿った空気が壁に定着されている。煉瓦づくりのガードは建設当時のもの。ふと足下をしっぽの生えた黒い生き物が横切った。驚いたと同時にちょっと安堵した。
LIFE works
2010@Tokyo
2010年4月3日
大田区南久が原2
かつて関東平野(多摩川周辺)に潤いをもたらせていた六郷用水は、現在遊歩道や道路となっている。このあたりにあったという堰もこの大きな樹なら必ず知っているにちがいない。地に眠る記憶の声を聞く。
LIFE works
2010@Kanagawa
2010年3月27日
横浜市中区南仲通5
幕末に開港、外国文化玄関口だった馬車道には日本初が多く見られる。1890年東京-横浜間で電話交換業務開始100年を記念したハンドホール。ちょうどこの場所が示された箇所を写す。
LIFE works
2010@Tokyo
2010年3月23日
大田区池上1
<池上本門寺の石段>欠けたところを大事に補修しながらなんと400年もあり続けている。そして96の段は「法華経」とかかわりがあるのだという。この段あたりは一番キツいところ、自然に想いも改まる。
LIFE works
2010@Tokyo
2010年3月19日
港区赤坂8
<乃木神社>一の鳥居をくぐった先にこの石垣はある。さまざまな種類の石を組み合わせた石の見本帳のようなだ。下の方は創建当時のもので上は新しくしたものらしい。
LIFE works
2010@Tokyo
2010年3月16日
大田区蒲田5
<旧蒲田橋親柱>逆川に架けられていた橋のひとつ。この先には松竹キネマ蒲田撮影所の正門前に架けられていた松竹橋親柱も残っている。橋名板はおそらく新しいものだが、コンクリートは当時からのもの。
LIFE works
2010@Osaka
2010年3月9日
吹田市千里万博公園
万博開催時の若林奮初期の作品『3.25mのクロバエの羽』が水を抜かれた「夢の池」付近に設置されている。鋼板は40年という時間と作品によるさまざまな要素が加わり、とても美しい色をしていた。
LIFE works
2010@Osaka
2010年3月9日
吹田市千里万博公園
1970年万博のシンボルマークが入ったマンホール。あの『太陽の塔』の背面は過去を表す黒い太陽が。そしてその塔を囲んでいたお祭り広場の大屋根の一部も残されている。
LIFE works
2010@Osaka
2010年2月23日
大阪市此花区伝法5
江戸時代大坂の水運の玄関口となっていた伝法。河口にある水門とこの船溜りは1953年に埋め立てられた伝法川の名残。その先は埋め立てられたが道路の下は水の道が続く。
LIFE works
2010@Osaka
2010年2月23日
大阪市此花区四貫島2
<森巣橋親柱>かつて河港として栄えた由緒あるまち。近くの鴉宮の元の名で土地の記憶を名に残している。この橋が架かる正蓮寺川はすでに失くなり、現在高速道路と公園等の環境を整備中。川が記憶になりかけている。
LIFE works
2010@Osaka
2010年2月18日
大阪市中央区内久宝寺町2
歴史ある難波宮跡のすぐ西側。何戸もの家々が細い路地に身を寄せあって暮らしていたのだろう。それがまだ残響のように現場に漂っていた。あらわになった地形、生き残った石垣と階段。それらのなんと美しいこと。
LIFE works
2010@Tokyo
2010年2月14日
大田区中馬込2
<松原橋>日本初のロータリー式(高速によくある)立体交差の橋として1940年に完成。台地を走る第二京浜と低地を進んできた環七がここで交わる。産業の発展を支えてきたこの橋も全国有数の大気汚染の場所になっているという。
LIFE works
2010@Osaka
2010年2月9日
大阪市浪速区恵美須東1
新世界ラジウム温泉の外壁。現在の二代目通天閣よりも以前からここにあるらしい。明治36年勧業博覧会後の跡地開発としてつくられた大阪の夢、新世界(ニューワールド)の名残。
LIFE works
2010@Osaka
2010年2月4日
大阪市住吉区長峡町
<住吉公園駅>阪堺電車(チンチン電車)上町線の終点。開業当時そのままの風情が残っている。ベンチに染み付いている駅の記憶。
LIFE works
2010@Osaka
2010年2月4日
大阪市住吉区住吉2住吉大社
<住吉反橋>通称太鼓橋。2011年鎮座1800年にあわせ、54年ぶりに架け替えられたすぐなので、まだ木の生っぽさが残っている。反りは虹に例えられ、橋を渡るにも意味がある。何年後の同じ場所を写してみたい。
LIFE works
2010@Osaka
2010年1月30日
大阪市淀川区十三東1
淀川の十三側の岸辺。簡易な桟橋に立つ形だけの扉と対岸で進む大規模な開発。川の隔たりは実際よりも相当の距離を感じる。
LIFE works
2010@Osaka
2010年1月30日
大阪市淀川区十三東1
淀川に架かる十三大橋を十三側に渡った岸辺。この大橋と並び、阪急京都線、宝塚線、神戸線の高架橋も並ぶ。頭上で行き交うすさまじい音。ここでも地上は地下のよう。
LIFE works
2010@Osaka
2010年1月26日
大阪市北区中津7
<十三大橋南詰親柱>浪花百景「十三中道」は渡しがあったころの往来の様子が描かれている。現在の橋は淀川改良されてから昭和7年のもの。この親柱からも当時からこの橋が大阪にとって重要な橋だったことがわかる。
LIFE works
2010@Osaka
2010年1月26日
大阪市北区中津6
<中津高架下>中津から十三大橋までをつなぐ約560mの高架の下には地上でありながら奥深い地下のような世界があった。人をも寄せ付けないコンクリートに囲まれた空間とは対照的に無性に人を寄せ付けるパッチワークの小屋。
LIFE works
2010@Osaka
2010年1月16日
大阪市中央区大手通3
歴史のある船場だが、かつてのまちの断片を都会的に整備された現在のまちで見つけることは難しくなっている。これほど無造作に留まっているところも珍しいのではないか。
LIFE works
2010@Osaka
2010年1月16日
大阪市中央区北浜東
<小楠公義戦之跡碑>楠木正行が逃げる敵を追い詰め、五百人を超える敵兵がこの川に落ちたが、これらの兵士を救い、京へ帰したという。天地山川までも変化してしまうが敵をも愛した公の心はいつまでも心に修めていたいと書かれている。
LIFE works
2010@Osaka
2010年1月8日
大阪市福島区福島2
<浄正橋跡>かつて北新地に蜆川が流れていたころに架かっていた橋の跡碑。地層のような痕がある。調べると当初黒い所まで埋まっていて数年前に少し持ち上げて埋めなおされたようだ。埋まっていた部分が呼吸をして気持ちよさそう。
LIFE works
2010@Osaka
2010年1月2日
東大阪市鴻池徳庵町
寝屋川の堤防、万代橋(新潟の萬代橋とは縁もゆかりもなさそう)の西側。コンクリートは語らずも痕跡は語る。作業員の休息。