瑞光小学校の記憶は、南千住の記憶とともに

今年小学校は学校ができて125年目にあたります。今から125年前は、明治20年。そのとき南千住は、日本を代表する繊維・製紙・機械工業などの大きな工場が次々と南千住に進出してきた頃。日本の近代工業化がこれを機に発展していきました。
そして南千住もムラからマチへと都市化していきました。つまり瑞光小学校は、南千住の町の記憶をともに歩んできたことになります。

南千住と煙突の風景

学校の記憶は南千住の町の記憶。当時の南千住の町の風景は、工場の煙突、銭湯の煙突、あるいは「おばけ煙突」で知られた火力発電所など、低い町並みのなかでは、ひと際目立つ煙突が象徴的な町の風景でした。
展示では、展示室となったランチルームに続く廊下から7本の煙突が立ち並ぶ南千住の記憶を表しました。




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ワークショップのようすはこちらLinkIcon

zuiko-sho02.gif瑞光小大正12年の授業風景kindaikogyo_3.gif昭和30年頃のあらかわの風景kindaikogyo_2.gif明治時代の南千住の製紙工場

    

       

     

中学校の敷地には2本の煙突が立っていた

明治38年から大正6年まで、南千住第二中学校の敷地には、当時日本最大の出力をもつ火力発電所があった。
この発電所は、当時東京市の電力需要増加に応えるために建設されたものの、度重なる隅田川の洪水によって停止し、その後さらに関東大震災によって2本の煙突が損壊したため、「おばけ煙突」の愛称で知られる4本煙突の火力発電所が隅田川の対岸西新井橋のたもとに立てられたという経緯がある。

生徒たちと2本の煙突を立ち上げる

『町の記憶PROJECT』によるワークショップを中学校での総合学習として全校生徒と取り組んでいきます。南千住に残る数々の寺社、旧跡をたどり、フロッタージュによって記憶を作品化していきます。
全校生徒と一緒に写しとった作品を6mの円筒形の周囲に貼り付け、中学校のエントランスロビーに2本の煙突を立ち上げます。御柱を曵いて建てるように生徒と一緒に起こします。
自分たちの学校の場所にあった、かつての町の煙突の風景を生徒たちの手でつくります。

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東京電燈千住発電所

    

南千住には多くの煙突があった

かつて南千住は、千住宿を中心としてマチ場として開け、発展してきました。隅田川の水運や安価な土地を立地条件として近代工業発祥の地として日本の歴史を刻んだマチでもあります。
「おばけ煙突」の愛称で知られる火力発電所4本の煙突は、南千住からでもよく見られた煙突でしたが、その他にも工場や銭湯など、まさに「三丁目の夕日」の舞台のような街でした。

開校110年は南千住の記憶そのもの

今年度第二瑞光小学校は開校110年を迎えます。これに合わせ、『町の記憶PROJECT』によるワークショップを小学校での総合学習として全校生徒と取り組んでいきます。
現在まちから消えていく煙突を教室の内部に再現、円筒形の外側と内側に全校生徒と町の記憶を写しとった作品を貼りめぐらし、煙突の中からも作品を鑑賞できるようにします。

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都電荒川線の記憶は町の記憶

路面電車が開始された明治44年(1911年)から100年たった現在、当時マチ場として開け、発展してきた南千住も大きく変わりましたが、三ノ輪橋停車場を始発として、庶民のくらしに寄り添いながら現在もなお運行を続けています。100年前と変わらないその人々のくらしとぬくもりが詰まった車輛を市民の手で触れ、なでるようにその記憶を紙に写し取ります。

記憶を乗せて走る『100年の記憶号』

7月18日に、都電荒川線荒川車庫とあらかわ遊園で行われたワークショップにおいて制作された作品を都電車両内に展示、市民が擦り出した記憶を乗せ、10月1日から都電荒川線特別列車『100年の記憶号』として三ノ輪橋〜早稲田間を1ヶ月間余り運行しました。

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